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雨下天青(うかてんせい)

所用で、久しぶりに訪れた大阪は、うららかな日の光と青空に恵まれ、町を行く人々も、心から春の訪れを喜んでいるかのように明るい笑顔につつまれています。大阪は、かつて二年ほど住んだ懐かしい街。第二の故郷と言っていいほど、私はこの町が好きです。

 その日、用事を済ませた私は、バスの時間までの残された自由時間を有意義に過ごさんと歩を進めていました。目的は中の島にある「大阪市立東洋陶磁美術館」。ここで、ちょうど今日まで特別展が行われていて、私がかねてから一度見てみたいと念願していた焼き物が展示されるのです。

 それは、中国の「汝窯(じょよう)」と呼ばれる窯(かま)で焼かれた青磁です。中国の焼き物のなかでも「景徳鎮(けいとくちん)」とか、高名な窯は、焼き物に詳しくない方でも名前くらいは聞いたことがあるでありましょう。けれども、「汝窯」などというのは、ついぞ聞いたことがない・・・という方がほとんどではないでしょうか。

それもそのはず。数百年の歴史を誇る有名な窯が各地にある中国の中で、「汝窯」というのは、今から900年ほど前に、たった二十年だけ青磁が焼かれただけで、忽然とその姿を消してしまった窯なのです。姿を消した理由は、北方から侵入した遊牧民族による徹底的な破壊でした。

 汝窯というのは、本来、皇帝が使う器を作る特別な窯でした。大帝国に君臨する皇帝専用の窯ですから、一流の職人が集められ、高い品質の青磁が作られましたが、その一番の特長は「色」にありました。

 皇帝は汝窯の職人たちに対し、こう命じました。

 「皆の者、想像してみるがいい。大地にしみ入るように、しとしとと恵みの雨が降っている。すべてのものに命を与える、癒しの雨だ。さあ、その雨があがった。そして、空一面に広がっている雨雲の一部が切れた。諸君、何が見えると思う。そう、青空だ。雨でほこりが洗いながされた、透明な空気に映える、透き通ったような青空だ。皆の者、この光景が想像できたか。」

 皇帝は、一呼吸おくと続けました。

「雨が過ぎたあと、雲の切れ間からのぞく、透き通ったような天の青さ。さあ、その色を陶磁にうつすのだ」

 みなさんも、ご経験があるのではないでしょうか?子供のころ、窓に頬づえをついて雨の降る空を見上げ、「早くやまないかなあ」と願った、あの日々のこと。そして、やっと雨があがったあとに、雲の間から顔を出した青空の美しさ。

 皇帝は、その色(雨が過ぎた後の天の青 = 雨過天青<うかてんせい>)を、自分の器に映すように、汝窯の職人たちに命じたのです。

 

 そして、さきほど述べましたとおり、北から遊牧民族が侵入して、王朝は崩壊、汝窯も跡形もないくらいに破壊されました。

 現在、皇帝の命令によって作られた、この雨過天青の青磁は、世界にたった90点ほどしか現存していません。

 さらに、謎が謎を呼んでいるのは、その「雨過天青」の色のことです。汝窯では、いったい、どのようにしてこの色を出したのか。

 その後、清王朝の皇帝が、大帝国の権力者の威信にかけて、また、数段に陶芸の技術や設備が進歩した、現代の一流の陶芸家たちが、その持てる力を駆使して、この雨過天青の色を再現しようとしたのですが、未だにそれを実現できた人がいないのです。

 この日、私が見にきたのは、「水仙盆(すいせんぼん)」という、花を寄せ植えするための平たい器です。これは窯で焼かれるうちに、やむを得なく生じる細かい「ひび割れ」がまったくないことから、汝窯の中でも「人類史上最高の焼き物」と言われ、中国の歴代皇帝に愛された至宝の一品なのです。

 さて、ついにその作品の前に立ったとき、私は心の奥底から湧き上がる感動を、どうしてもおさえることができませんでした。まさしくこの色は「雨過天青」の青空。子供のころ、雨があがるやいなや、友達の家に走って遊びに行ったときに見上げた、あの透き通るような青空・・・あの色そのままだ。見れば見るほど、それは「焼き物」というより、「非常に神々しい」何か・・・としか言いようがないオーラをまとってくるのです。

 私は思ったのです。この色は、現在の、または将来の陶芸家たちが、単に技術を磨くだけでは、決して出すことはできないに違いない。この汝窯が焼かれた時代の人々が持っていた、そう、この青空のように透明な心。それを取り戻さない限り、汝窯の「雨過天青」の色は、永遠に幻として、歴史の彼方に去っていくに違いない。