稲置街道67 楠味鋺の首切り地蔵

首切り地蔵は稲置街道と交差する東西に延びる道に面しているのだが,

玉石を組んだ高さ50cmほどの基壇上に瓦葺棟入素木造の社と並んで奉られていた。

地蔵堂脇の教育委員会製作の案内書『首切地蔵』にはこうある(写真左)。

「この地蔵菩薩像は文政(1818〜30)の銘がある1メートルほどの石像で、磨滅がひど胴体がやや斜めに、二つに分れている。

 昔、このあたりの郷士、一ノ曽五左衛門が,同家に仕えていた女中に過失があったので手打ちにしようとしたところ、この地蔵が身代わりになったと伝えられている。

 例年8月23日が例祭日で、その日は大勢の参拝者で賑わう。」

ちなみに地図表記は「首切り地蔵」と,送りの「り」が付いている。

織田信長の墓石のように恨みを買って刀傷の入った石造物や

廃仏毀釈で、割られた石造物に物語が付加された例は多いが、

この首切り地蔵廃仏毀釈で割られたものにしか見えない(写真中)。

地蔵堂の左(西)隣の扉の無い社には中央に韓紅の祠、

その左右に素木の神棚が納められている。

祠と神棚には、それぞれ,お札が納められているのだが,

中央の韓紅の祠の神札の封書から透けて見えるのは「…神社神札」のみ。

向かって右の神棚の神札は「熱田神宮」,

左の神棚の神札には「儺追 國府宮」とある。

「儺追(なおい)」とは國府宮「はだか祭」の正式名称だ。

左右に尾張の2大社の控えた中央の神とは?

「神社」とあるので、伊勢神宮ではない。

となると、寄って来た「味鋺神社」くらいしか思いつかない。

大勢の人間が首切り地蔵をブログで紹介しているのだが,

誰もこの社には触れていない。