カイロ団長・考 その5 雨蛙たちが一緒に面白く仕事をやっている心のありか

ある時、三十匹の雨蛙が、一緒に面白く仕事をやっておりました。

この作品『カイロ団長』の書き出しです。さりげない文章でさりげなく綴られていますが、ともすれば私たち現代人が忘れかけているのかもしれない大切なことを作者の宮沢賢治さんは肩ひじ張らずに語っています。

『一緒に面白く仕事を・・・』とは どんな心持で仕事をやっていたのでしょうか?

造園業ですから一人の感性で作り出せる部分と、皆で力を合わせて全体の形を整える力仕事の部分とあります。三十匹の雨蛙がそれぞれ自分の脳みそを働かせて自分で考えて創造性を発揮して、さらには共同で一つの仕事をしているのです。

いい仕事をしたい、美しい公園地に仕上げたい、思いは一つです。ここが大事です。一緒に面白く仕事ができる前提を思い描いてみます。何を優先して仕事をしているのかで仕事の中味は豊かにも貧弱にもなります。「ノルマ」や「マニュアル」や「安全管理への縛り」といったことが最優先されていない労働の場から生まれ出る思いやりや気遣いがあります。

引用を続けます。

これは主に虫仲間から頼まれて、紫蘇の実や芥子の実を拾ってきて花畑をこしらえたり、形のいい石やコケを集めてきて立派なお庭を作ったりする商売でした。

こんなようにしてできた綺麗なお庭を、私どもはたびたび、あちこちで見ます。

それは畑の豆の木の下や、林の楢の木の根元や、また雨だれの石の影などに、それはそれは上手にかわい可愛らしく作ってあるのです。(中略)

朝は、黄金色のお日様の光が、トウモロコシの影法師を二千六百寸も遠くへ投げ出すころからさっぱりした空気をすぱすぱ吸って働き出し、夕方は、お日様の光が木や草を飴色にうきうきさせるまで歌ったり笑ったり叫んだりして仕事をしていました。

殊に嵐の次の日などは、あっちからもこっちからもどうか早く来てお庭を隠してしまった板を起こしてくださいとか、うちの杉苔の木が倒れましたから大急ぎで五六人来てみてくださいとか、それはそれは忙しいのでした。忙しければ忙しいほど、みんなは自分たちが立派な人になったような気がして、もう大喜びでした。

ここまで美しく雨蛙たちが「…一緒に面白く仕事をやって…」いる情景を描写されると、この先のお話の展開で殿様蛙の家来にさせられて次々と苦役を強いられていく労働の中味とのコントラストが際立ちます。